おととい公立高校の学力検査、きのうは個性重視の特別試験があり、あれよあれよという間に今日の卒業式を迎えました。
3年前、雨風が吹きつける嵐のような日に入学したそらたちの卒業式は、なぜかやっぱり嵐なのでした。
そらの中学校の卒業証書授与式は、壇上で校長先生から一人一人卒業証書を手渡され、受け取ったらおじぎをして席に戻る・・・という方式なのですが、ちょっとびっくりする展開になりました。
最初のクラスで、一人の男子生徒が証書を受け取ったあと、こちらに向き直って「お父さん、お母さん、いままでありがとうございましたっ!」と、大きな声で叫んだのでした。
突然の展開に、一同唖然としたのですが、その後、大きな拍手がおこりました。
そうなると、ほかにも誰か真似する人がいるんじゃないかと、みんな期待をするわけです。
最終的に男子生徒ばかり7、8名ぐらいでしょうか、両親や先生、友だちに対しての感謝の気持ちを述べていました。
中には、「背が伸びました」と言った子も・・・
その後、式はつつがなく進行し、司会の先生が「これで終わります」と言われたとき、
「ちょっと待ってください!」と声が上がりました。
さきほど、最初に発言した男子生徒が、あらためて両親や先生に心配をかけたことなどを詫びて、感謝の言葉を述べたのでした。
その後も次々と男子生徒が前に出て(中にはわざわざ壇上へ上がった子も)、反抗したけど見捨てないでくれた両親や先生に対するお礼、家出した自分を遅くまで探し回ってくれた親御さんへの感謝の言葉などを述べていきました。
そのたびに、会場はあたたかい拍手に包まれたのでした。
今日、そうやって一言述べた男子生徒たちは、在学中、けっこうやんちゃしてきた子たちでした。
だからきっと、先生方も親御さんも、今日のことはとても嬉しく思われたのではないでしょうか。
少しばかり、最後にいいとこどりをしたみたいな彼らでしたが、卒業生が退場したあとで3年の学年主任の先生がおっしゃた言葉にわたしは溜飲を下げたのでした。
それは、決して目立つことはないけれど、真面目に、一生懸命に、いろんなことに取り組んできた大勢の生徒さんたちをほめたたえる言葉でした。
「その他大勢」である彼らの頑張りを、先生方はちゃんとわかっていらっしゃることが、わたしは嬉しかったのです。
その後、それぞれの教室で、最後の学活があり、そこで担任の先生からあらためて卒業証書が一人一人に手渡されました。
担任の先生は、「さっき、あの場で自分の気持ちを言いたかった人もいると思うので、一言ずつ言ってください」とおっしゃり、生徒たちは「ありがとうございました」と恥ずかしそうに小さな声で教室のみんなや保護者に向かって頭を下げました。
そらはなんだか眠そうな、機嫌が悪そうな顔で、証書を受け取っても頭もろくに下げず、わたしは内心(あちゃ~
何やってんの
)と思っていたのですが、くるりと向き直って、「1年間ありがとうございましたっ」と、誰よりも大きな声でお礼を言い、深々と頭を下げたのでした。
たくさんの拍手と「ヒュ~ヒュ~」という冷やかしか飛び交う中、担任の先生は言葉を失くし顔を覆って泣いてありました。
そのとき、わたしは先生がそらのことをずっと心配してくださったこと、3年生になって見違えるように明るくなったことをとても喜んでいらっしゃったことを思い出し、思わずもらい泣きしてしまいました。
2年生になったばかりのころ、そらは一番仲のよかった友だちからいじめに遭いました。
もともとマイペースで、下げパンをしたり、ノーヘルでチャリ通学をしたりする周りの流れにのらないところもあって、そういうところが「キモイ」「ウザイ」と言われ、いじめはどんどん広がっていきました。
朝、学校へ行くと上靴が隠されている。机には「しね」と書かれている。ブログには「キモい」と書かれる。ペンケースを校外の溝に捨てられる。頭からチョークの粉をかけられる。すれ違いざまに小突かれる。自転車のキーを抜いて捨てられる・・・
心が萎えるようなことが、ほんとうにたくさんありました。
そのほとんどが誰がやったのかわからなかったこともあって、そらは「今日は何をされるんだろうと思ったら、学校へ行くのが怖い」と、ぽつりと洩らすようになりました。
わたしも何度もそらの思いを手紙にしたため、学校へ出向き、先生方に解決を図っていただくようお願いしました。
先生の対応にもとても温度差があり、こちらの思いがまったく伝わらず、はがゆい思いをすることも多々ありました。
「悪気はないのだから」といじめる子を擁護するような発言に傷ついたこともありました。
そらには2年生の体育会、修学旅行の思い出がありません。
2年生のおわりには、心療内科にかようほど心身ともに疲れ果てていました。
3年生になって担任の先生とクラスが変わり、仲のいい友だちもできて、そらはだんだんもとの明るさを取り戻しました。
もちろん、嫌なことやつらいこともたくさんあったようですが、そらは強くなりました。
きのう、卒業文集を持ち帰りました。
中学校の思い出の1番目に、そらは小さな字で「いじめ」と書いていました。
消え入りそうなその字を見ていると、去年の今ごろ、学校へ行こうとすると具合が悪くなるそらのことを思い出して、また少し、切なくなりました。
今日、最後の学活が終わった後、そらは友だちと連れ立って、お世話になった先生のところをまわっては、「お世話になりました」とあいさつをして、一緒に写真を撮ってもらっていました。
その晴れ晴れとした表情を見て、「終わりよければすべてよし」と、そんなことを思ったのでした。
そらがここまで来るには、今の担任の先生、校長先生など、多くの先生方のご配慮と見守りがありました。
中でも、りくの担任だった先生には、いつもそらのことを気にかけていただき、そらは「ぼくが信頼できるのは、あの先生だけ」と話していました。
わたし自身も、どれだけその先生には元気づけられたかわかりません。
きっとこのブログも読んでいらっしゃることと思いますので、この場をお借りして、こころよりお礼申し上げます。ありがとうございました。
そらへ
あなたを授かったとき、母はただ、元気で生まれてきてほしいとだけ願いました。
あなたが生まれて、いつのまにか願いはどんどん増えていきました。
もっとたくさん食べて大きくなってほしい。
夜泣きしないでほしい。
はやくおっぱいを卒業してほしい。
おともだちと仲良くしてほしい。
かけっこで一番になってほしい。
積極的に挑戦してほしい。
お手伝いを嫌がらずにしてほしい。
もっと成績がよくなってほしい。
お兄ちゃんや妹と仲良くしてほしい・・・
母はいつの間にか、とても欲張りになっていました。
あなたが病気をして、学校でいじめに遭って、
健康も、友だちも、部活も、幼い頃から大切にしていた恋も失い、
「お母さん、来年の今頃ぼくは生きてるかな。」
と言ったときに気づいたのです。
ただ、あなたが笑って生きていてくれたら、母はそれだけでいいのだと。
(「母から子への手紙」2007より)
そらへ
「お母さん、来年の今頃ぼくは生きてるかな。」
そうあなたがつぶやいてから1年が過ぎました。
今もあなたがこうして生きていることに、母は心の中で手を合わせています。
心ない人たちによって心身を傷つけられ、
自分がこの世でたった一人の大切な存在であることすら忘れてしまった、
あなたをどうしたら守ることができるのか、
自問自答する日々でした。
わが子を抱きしめて守った日々は遠くなり、
母はあなたの生きる力を信じ、
登校するあなたの後姿に今日一日の無事を祈り続けた、長い、長い日々でした。
今もつらいことは多いけれど、
あなたは水に流す強さを身につけました。
そして母は気づいたのです。
毎日学校へあなたを送り出せる幸せに。
友だちと談笑する笑顔を見つめる幸せに。
つらい日々にあっても、小さな幸せは心に温かい灯をともしてくれます。
どうかこの幸せが、ずっと続きますように。
(「母から子への手紙」2008より)
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