公募生活

「未来を築く子育てプロジェクト」

無事、東京から帰ってまいりました。

出発の前日、日本列島は2月だというのに夏日sweat01のところもあったという暖かさ(暑さ?)で、おやおや、これではダウンジャケットなど着て行ったら暑くはないだろうか・・・と、またまた着ていく服で最後まで悩まされました。

結局、ハイネックシャツにチュニックワンピースの上からダウンジャケットを着て、ババシャツは寒かったときのために持っていくということで落ち着きました。

朝一番の飛行機で羽田に到着。その日の東京の最高気温は17度という予想でしたが、曇っていたため、2枚着ていてちょうどよいといった感じでした。

ディズニーランドに到着したのは9時半。

日曜日ということもあって、既にアトラクションには長い行列が出来ていました。

長時間並ぶ覚悟で腰痛防止のコルセットも着用してはいたのですが、2つ目のアトラクションの「45分待ち」で、既につらい・・・

子どものくせに、かいりも立っているのがつらいのか、ちょっとした出っ張りを見つけてはおしりを乗っけていました。

「お母さんもどうぞ」と言われても、お母さんのおしりは乗っからないかもcoldsweats01

アトラクションもレストランも、ポップコーンのスタンドさえも行例でクラクラしていたのですが、ひたすら耐えて夜を待ちました。

以前、同じ2月にシーに行った時、(この時もタダ旅行でした。映画の試写会の旅にペアで当選したのです)暗くなったころからアトラクションの行例が一気に短くなり、スイスイ乗れたのでした。

しかし、ランドで行列が短くなったのは夜のパレードと花火が終わった後でした。

かいりがジェットコースター系に「もう一回乗りたいhappy02」とせがむので、花火が終わったら帰る予定を変更して、結局閉園時間まで遊びました。

最後の1時間は面白いようにさくさくアトラクションに乗れて、大満足でした。

大変なのはそれからで、半分夢の世界catfacesleepyに行ってしまったかいりを引きずるようにホテルまで連れ帰り、先に届いていたスーツケースを開けたら、やっぱり2人のスーツはシワシワで、蒸気の立ったバスルームに吊るしてシワを取ったり、荷物の整理をしたりで、寝たのは2時ごろでしたwobbly

朝は皇居周辺を散策などという優雅な予定はどこへやら。

とにかく目を覚ますためにお風呂へ入り、ごはんを食べたら、あっという間に時間は過ぎて、結局ホテル周辺の観光はできないまま、タクシーで東京タワーへと向かいました。

運転手さんに恐る恐る「あの~国会議事堂前を通っていただくことはできますか?」とお願いしたら快く了解してくださって、写真も撮りやすいところで停めてくださいました。

おのぼりさんというのが伝わったらしく、霞ヶ関の省庁を「これは××省で、あっちが○○省です」と解説までしてくださいました。

東京タワーで待ち合わせをしている叔母に会うのは23年ぶりで、わたしたちの結婚式以来です。

前日に電話で「すっごいおばあちゃんになってるから」と言われていたので「おばちゃんだってわかるかな…」って心配していたのですが、なにをおっしゃいますか、ぜんぜん昔とお変わりなく、若々しいじゃありませんかshine

叔母と一緒に東京タワー観光をして、表彰式会場のニューオータニへ向かいました。

2時半開始の表彰式なのに、集合時間は1時。

いったい何事があるんだろ?と思っていたら、ちょろっとリハーサルがあっただけで、すっごく暇でしたsad

でも、リハーサルがある表彰式って、いったい…

式自体もプロのアナウンサー(?)が司会をし、効果音(BGM?)は流れ、プロジェクターには受賞作品の内容を表す写真が映し出され(それは受賞者が前もって送るように言われていた子育てに関する写真なんですが)、それはそれは華やかなお式でした。

わたしが授けていただいた賞はエッセイ部門の優秀賞で、受賞者の方が15人いらっしゃり、賞状の授与は代表の方のみだったので、とっても気が楽でした。

いちおう壇上には上がるのですが、そこから家族席をふと見たら、かいりは眠っており、体が半分椅子からずり落ちておりましたcoldsweats02

隣に座っている夫は写真を撮るのに忙しく、わたしは(←ね・て・る)と合図を送るのですが、なかなか気がついてくれません。

その後、夫がかいりを起こしましたが、ちょっとだけ目をあけて、また眠ってしまいましたsweat02

表彰式を見るという大義名分で初めて学校もお休みしたのに、これでは何のために来たのかわかりませんよねsad

ところで、受賞者は全部で40人近くいて、(エッセイ部門だけじゃなく、子育て支援の活動団体や女性研究者の方を表彰する部門もありましたので)全員での記念撮影は壮観でした。

ところで、子育て支援に関する表彰式だけあって、会場には小さい子どもさんがいっぱいでした。

おかあさんのひざに乗ったり、会場を走り回ったり、寝転んだり・・・

式の終了後、夫が「あんただったらどうした?俺なら叱っとった」と言いました。

わたしだったらどうしただろう。

きっと、わが子を叱るだろうな。それで泣き出したりしたら、会場の外に出るだろうな。

そう思ったのですが、子育てがテーマの表彰式ですから、やっぱりお子さんが走り回るのもよしとした雰囲気があり、かえって叱ったりすれば、場の空気が気まずくなるような気もしました。

主催者も「お子さんの泣き声がする表彰式もこのコンクールならでは」という話をしていらっしゃいましたから。

約1時間半の表彰式の最後に「これで終わらせていただきます」と主催者側のあいさつがあったとき、どこからか「終わった~note」という晴れ晴れとしたお子さんの声が響き渡り、笑いを誘っていました。

その後、別室での懇親会がありました。

お料理がとても美味しくて、感激でしたhappy02

しかも、前日の朝からあまりまともな食事をしていなかったこともあって、シアワセでクラクラしそうでしたheart04

ただ、残念だったのが、デザートがあることに気づかず、気づいたときには既に時遅く、なんにも残っていなかったことですweep

夫と「あとで出てくるよね」と話していたのですが、考えたら50分の懇親会ですから、お料理がなくなればそれで終了なんですよねcrying

こうして表彰式も終わり、無事に福岡に帰ってまいりましたairplane

ところで、留守番組のりくとそらですが、親がいなければいないで、わりとちゃんと生活していたようですgood

一応、塾や学校、アポロの散歩という重要任務をちゃんとこなしているかどうかが心配で2度ほど電話をかけたのですが、“朝9時にりくが起きていて電話に出たsign03”ということに驚きました。

まあ、お風呂に入っていないし洗い物もしてなかったのは予測の範囲内でしたが、こちらが作りおきしていた料理を食べず、自分たちでお菓子やらカップめんやらを大量に買い込み宴会をしていたようで、それが大変な事態を招くことにshock

翌日りくは単位認定試験だったのですが、通学途中におなかが痛くなりトイレにこもっていたら遅刻して、1教科を受験できなくなったしまったそうですsweat02

これで追試は確定となりましたcrying

それ以外は特に大きなトラブルもなく、親のいない2日間を満喫したのではないでしょうか?

こうして書いてみると、人様に読んでいただいてウケるようなことはたいして起きておらず、今回は「珍道中」というほどでもなかったですね。

ご期待に沿えず(?)すみませんcoldsweats01

まあ、かいりのスカートの仕付け糸を取るのを忘れていて、「おかあさん、座ったらプチッて音がして、あちこち破けちゃったsweat01」と彼女を心配させてみたり、表彰式で壇上に上がるとき、緊張してずかずかと正面から上がってしまったり、ぼ~っとして何度も夫に叱られたりと、ちょこまかした失敗はありましたが…

ほんとに濃い2日間でございましたnote

帰宅したとき、アポロがものすごく喜んでくれたこと、息子たちがハイテンションで留守中の出来事を語ってくれたことがとてもうれしかったです。

やっぱりわが家がいちばんですhappy01

Photo_2★写真はエッセイの受賞者のみを写したものです。

審査員には「気がつけば騎手の女房」で有名な作家の吉永みち子さんもいらっしゃり、懇親会では一緒に写真を撮らせていただきました。

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母から子への手紙

昨年の今ごろ、2度目の表彰式出席のため猪苗代へ行きました。

ホテルに到着したのが遅くて、日本料理を食べ損なった夫は、「来年は食べるぞ~!」と

妙な誓いを立て、その後、1年にわたって私にプレッシャーをかけ続けたのでした。

大体4年も続けて書くと、子どもに伝えたいこともネタが切れてしまうわけで・・・

それでも、締切日に何とか書き上げ、「出したよ。これでよかろう?」と、夫に対して義務は果たしたと言わんばかりの私でした。

入賞した場合、いつ頃電話がかかってくるかもわかっており、いくらなんでも今年は無理だろうと思っていたら、先日、佳作受賞のお知らせをいただきました。

ちなみに、表彰式出席のための旅費と宿泊費が出るのは優秀賞以上なので、今回は出席を見送りました。

今年は芥川賞作家の玄侑宗久先生の講演があったので、ホントは出席したかったのですが・・・残念でした。

ところで、主宰者から作品集が送られてきたのですが、入賞作品の中に目が醒めるようなあざやかな一文があったのです。

ここで紹介させていただけないのがザンネンです。

内容は、病気がちで小さかった息子さんが立派に成長され・・・という話なのですが、その表現がピリ辛で、いったいどんなお母さんがお書きになったのだろうと、とても気になっています。

表彰式に出席していれば、ひょっとしてお会いできたかも・・・と思ったら、ますますザンネン!

たぶん、福島の地方紙には内容が紹介されたと思います。

作品集も数年分をまとめて出版されていますので、たぶんそのうち本として世に出るだろうと思います。

ああ、ボキャブラリーが乏しいのがうらめしい~

とにかく、胸のすくような、スカーッとした素敵な文章に出会えた幸せを味わいました。

それから、夫には「表彰式に連れていけなくて、ごめんなさい。」と謝ると、わりとケロッとしていました。

毎年千件以上の応募作品の中から4年も続けて私の作品を選んでくださった猪苗代のお母さんたちに感謝の気持ちでいっぱいです。

ほんとうに、ありがたいことです。

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スキナベーブ赤ちゃんエッセイコンテスト

先日、久しぶりに公募に作品を出しました。

8月20日が締め切りだったので、前日にバタバタと書いてインターネットのサイトから応募していたら、1週間後には1次選考に通過したとの連絡をいただきました。早っ!

こちらの最終選考のやり方はユニークで、一次選考で残った作品をウェブサイトで公開し、読者の投票によって入賞作品を決定するというものらしいです。

投票してくれた人には抽選でプレゼントもあるようですので、興味のある方は下記サイトにアクセスしてみてくださいね。

なお、作者名は公開されていません。作品タイトルと年齢、地域だけが公開されています。

いちばん「赤ちゃん」に関係なさそうで、怪しげなタイトルをつけているのがわたしの作品です。

スキナベーブ赤ちゃんエッセイコンテスト

http://www.babycare-net.com

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作品集をいただきました

Img068_27 福島県猪苗代町が主催する「母から子への手紙」の受賞作品集(2005~2007)が送られてきました。

わたしが初めて応募したのが2005年、そして、2006年、2007年と3年連続で選んでいただいた3作品が収められています。

表彰式でいただいた作品集は、優秀賞以上の10作品のみが収録されているものだったので、表彰式での講評を聞きながら、ぜひ佳作の作品も読ませていただきたいと思っていたので、思いがけない嬉しい贈り物でした。

涙なくては読めない作品が多いので、これは電車の中では読まないようにしようと思っています。

ちなみに、わたしが最初に読んだ偉人伝は、「野口英世」でした。

小学校1年生のときに母に買ってもらったのですが、高学年向けで字は小さいし漢字は多いしで、とても苦労して読んだのを覚えています。

内容については、(野口英世って、しょっちゅうお金を使い果たして人に頼るけど、みんなよく貸してあげたなあ。)と、そんなヘンなところに感心していました。

巻末に母のシカさんが海外で研究に没頭する英世に宛てた手紙が掲載されていました。

子どもだったわたしにも、お母さんのわが子を想う気持ちが伝わってきて、(おかあさんって、すごいなあ。)と思ったのでした。

この「母から子への手紙」コンテストも、そんなシカさんの手紙にちなんで開催されているのでした。

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表彰式に行ってきました

先々週の末から風邪をひいてしまい、久々に熱まで出してダウンしておりました。

熱が下がっても、咳は出るし、ぼ~っとするしで、まだ体調は今ひとつです。

そんな中、福島県の猪苗代町で行われた「母から子への手紙」コンテストの表彰式に、夫とかいりの3人で行ってきました。

りくが期末試験の最中ということもあって、彼はお留守番。そらも親のいぬ間に自由を満喫するつもりのようで、快くお留守番を引き受けてくれました。

とはいえ、子どもだけで一晩置いておくのは初めてのことです。

帰ってきたら、家が燃えてなくなっているんじゃないか・・・

兄弟げんかの挙句、刃傷沙汰になり、報道陣が家を取り囲んでいるんじゃないか・・・

とまあ、あれこれと不吉な想像をしておりました。

そんなことを知り合いの新聞記者さんに宛てたメールに書いていたら、「留守中、もし刃傷ざたになったら、新聞報道しないよう社会部の警察担当に圧力を掛けますので、ご心配なく」というレスが来て、大笑いしてしまいました。

12月1日、朝5時半に出発する私たちは、当日が試験第一日目のりくをたたき起こし、「ぜえったい2度寝したらいかんけんね!ちゃんと学校行きいよ!」とさんざん念を押したのでした。(ちなみにりくは、普段は数十回ぐらい起こさないと目が覚めません。)

さて、物心ついて以来、自家用車以外で旅行した経験のないかいりは、飛行機や新幹線に乗るのを楽しみにしておりました。

上野動物園を駆け足で観光した後、新幹線で郡山へ。駅弁はポケモン弁当で、ごきげんです。

猪苗代に到着したのは午後3時半。家を出てからすでに10時間ほど経過しており、さすがにぐったり・・・しかも、あちらは日の入りが早いので、早々にホテルに入りました。

先週積もった雪が、まだところどころに残っており、磐梯山も雪化粧しておりました。

スパで泳いで、バイキングでおなかいっぱい食べた頃には、なんだか当初の目的を忘れているような・・・

翌朝、表彰式のための洋服に着替えると、スカートがピチピチです。

なんと2キロも太っていました!

大賞受賞の方が表彰式には欠席されていたため、準大賞をいただいた私が真っ先に表彰を受けることになり、テレビ局や新聞社のカメラを前にして、(きのう食べ過ぎなきゃよかった~)と、後悔したのでした。

今回は懇親会にも参加する予定で、地元のお母さん方の手作りの郷土料理を楽しみにしていたのですが、表彰式が45分も時間オーバーしてしまい、懇親会の乾杯にしか参加できませんでした・・・(なにせ1時間に1本しかない電車に乗り過ごしてしまったら、新幹線も飛行機も間に合わないのです)

お母さん方は気の毒がって、「せめて温かい汁物だけでも食べていって・・」と、急いでよそってくださったり、「電車の中で食べてください」と、ご飯ものやサンドウイッチを急いで包んでくださったりして、ほんとうにありがたかったです。

2年前の表彰式後、雪道を馴れない人が歩くと大変だからと、駅まで車で送ってくださった役場の方が、今回もまた駅まで車を出してくださり、ほんとうにたくさんの方に親切にしていただきました。

審査委員でいらっしゃる芥川賞作家の玄侑宗久先生、エッセイストの大石邦子先生、小川正子記念館館長の末利光先生も、あわただしく帰り支度をする私たち家族と一緒に、快く写真に納まってくださり、いい記念になりました。

子どもにとっては楽しいとはいえない表彰式に長々と付き合わされたかいりはご機嫌斜めでしたが、帰りにポケモンセンターに連れて行ってもらって、すっかり元気になりました。

その夜遅く家に帰りつくと、(予想していたことながら)使った食器はそのままだし、掃除も洗濯もした形跡はなく・・・しかも、「試験勉強はした?」と、りくに尋ねると、「う~ん・・・」

結局息子たちは、友人家族のお宅で夕食をおよばれした上に、そのまま泊めていただき、とっても楽しい時間を過ごさせていただいたようでした。(ありがたいことです)

ともあれ、家は燃えてなかったし、刃傷沙汰にもなっていなかったので、ほっと一安心でした。

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明日への伝言板

人権啓発ラジオ番組「明日への伝言板」の中で、竹下景子さんがわたしの作品を朗読してくださることになりました。

放送日は12月7日金曜日です。

なぜかわが家はラジオの電波が入らないんです。林田スマさんのラジオ番組に出演させていただいたときも、ドキドキしてラジオのスイッチを入れたら聴こえてくるのはガーガーピーピー雑音ばかり。

今回も聴けないなあと思っていたら、主催者の方がすでに収録済みのCDを送ってくださいました。

竹下さんが、あのお優しい声でわたしに語りかけるように番組は始まり、どぎまぎしてしまいました。

公募を趣味として思うのは、圧倒的にボツになることのほうが多いけれど、それでもあきらめずに可能性の種をまき続けていれば、忘れた頃にひょっこり芽を出したり、花が咲いて、種が運ばれて、今回のように思いがけないところでまた芽を出すこともあるんだなということです。

「クイズダービー」の頃から憧れのおねえさんだった竹下さんに、自分の作品を朗読していただけるなんて、わたしは幸せ者だなあと思ったのでした。

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公募生活9・人権ストーリーコンテスト

「母から子への手紙」の表彰式で福島の猪苗代を訪れてから3ヵ月後、再び表彰式で東京へ行く機会が巡ってきました。

1年のうちに2回も飛行機に乗れる!

それが嬉しくてワクワクしていたわたしでしたが、今回はお留守番の夫は寂しそうでした。

出発の前日、なぜかわたしたちは夫婦喧嘩をしていて、ろくに口もきかない状態でした。そんなときにかぎって、航空会社がストに突入したとの報道が・・・

早朝の飛行機が果たして飛ぶのか、何度もネットで情報をチェックし、ろくに眠らず空港へ向かいました。

なんとか羽田に着いたとき、表彰式までは約3時間。

空港で時間をつぶすなり、東京タワー見物なり(表彰式会場のすぐ近く)、おとなしくしていたらよかったのですが、おのぼりさんのわたしは「山手線で車窓から東京見物しよう」なんてことを思いついてしまったのでした。

たまたまどこかの私鉄がトラブルで動いておらず、山手線は大混雑。座ったわたしに見えたのは人、人、人のおなかばかりでした。

それではと、渋谷で降りて若者の街を探索しようと、若くもないわたしが思ったのですが、渋谷は以外に遠く・・・(私の見た山手線の案内図は、主要な駅だけが載っていたものでした)

もしかしたら、時間が押してるかも・・・と、急に不安になり、渋谷で降りるなり反対周りの電車に飛び乗ったのでした。

駅に着いたのは、表彰式の20分まえでした。しかも、まだお昼ご飯も済ませていません。表彰式でおなかがグ~は、さすがにまずいので、駅でパンとお茶を買うと、ひたすら東京タワー目指して走りました。馴れないパンプスにスーツじゃたいして歩くのと変わらないのですが。

たしか、東京タワーは日本一高い建築物のはずなのですが、ビルの林を走っていると見えないんですよね。地図を見ながらなんとか会場入りしたときは、開始時間前10分を切っていました。

そこからトイレに駆け込み(だって、どこにも食事できるスペースがないんです!)、個室に入ってパンをお茶で流し込み、身だしなみを整えて何食わぬ顔で会場入りしたのが1分前でした。

わたしらしいといえばそれまでなんですが・・・

その表彰式で、1席だった方はプロの脚本家の方で(ご本人は謙遜して主婦とおっしゃってましたが)、帰りに喫茶店でいろいろと創作にまつわるお話を聞かせていただきました。

帰りは余裕をもって空港へ行きました。(さすがにもう、冒険はこりごり)

福岡へ帰ってきたときに空港の到着ロビーで家族を見つけたときは、とても幸せなきもちになりました。喧嘩中にもかかわらず、迎えに来てくれた夫に感謝、感謝でした。

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びっくり!でした。

以前、「花粉症五七五大賞百選」のことを書いたと思いますが、21,649句の中から百選に選んでいただいて、8月にホームページにアップされるとのことでした。

今朝、ふと思い出して覗いて見たら、ちゃんとアップされてました。

わたしの句はどのくらいの位置かなあと思って、最下位のページから見ていったのですが、なかなか出てきません。

もしかして、百選に選ばれたの自体が間違いだったのかもと思っていたら、なんとベストテンの10位にありました!

たらたらと長いものを書くほうが楽チンなわたしにとって、川柳のように短い言葉の中に作者の想いとか、映像とかがギュッと詰まったジャンルは苦手なのです。

「ビッグコミックオリジナル」に、「川柳虎の巻」というコーナーがときどき載っているのですが、入賞作は着眼点がほんとうにすごいのです。

どうやったら、たった17文字の中にこれだけの世界を凝縮できるのだろうと感心し、その才能に惚れ惚れとしてしまいます。

なので、今回はものすごく大きな贈り物をいただいた気分です。

でも、本音を言うと、わたしとしては落選した句のほうが好きだったのですが・・・

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公募生活・8 「母から子への手紙」

公募で入選した場合、表彰式がなければ入選通知や副賞、賞状などが送られてきて終わりなのですが、表彰式がある場合、そこで出会う方々とのご縁が嬉しいです。

「母から子への手紙」は、野口英世の故郷、福島県猪苗代町が主催でした。

原稿用紙1枚の中に、母親が子どもへこめた想いを表現するというもので、地元のお母さん方が一次審査の審査委員というのもユニークです。

優秀賞と日本郵政公社総裁賞のダブル受賞のお知らせをいただいたとき、「12月に表彰式を行うのですが、遠方ですし~」とのお言葉に、わたしも欠席するつもりだったのですが、旅費と宿泊費を負担していただけるとのことだったので、お言葉に甘えて出席させていただきました。

しかも、「こんな機会は二度とない」と言って、夫も一緒に来ることに・・・

12月の半ば、暖冬のはずが急に寒波がやってきて、北日本は大雪の恐れなどとニュースで報じられており、心配になって猪苗代町役場に電話をすると「ああ、もう雪が降り始めてますから、表彰式の日は十数センチは積もるでしょうね。」とおっしゃるではありませんか。

表彰式に出席するのに長靴で行くわけにも行かず、早速ブーツを買いにいったら、雪の上を歩くようなものは置いていないと言われてしまいました。

仕方なく、とりあえずワイズが4Eのわたしの足がなんとか納まるブーツを買って、どきどきして旅立ったのでした。

乗り継いだ列車が猪苗代に近づくにつれて、どんどん雪は激しくなり、しまいにはなんにも見えなくなってしまい、白一色の不思議な世界が車窓には広がっていました。

早く着きすぎたので、夫と会津若松を観光することにしたのですが、すでに30センチくらい雪は積もっており、雪に不慣れな九州人のわたしたちは、へっぴり腰でズボズボ雪に埋もれながらの観光になってしまいました。

初日は猪苗代湖も磐梯山も雪でまったく見ることができず、明日こそは!と祈ったのでした。(当初の目的を忘れて)

翌日、受賞者をホテルから表彰式会場まで送るバスの中で、ひとりの素敵な女性と知り合いました。

行く先々で周りの方たちに大きな声で挨拶をされて、こぼれるような笑顔を向けられていました。お仕事が司会業というのもうなずけました。でも、仕事でなくてもそのように振舞えるのがすばらしいなあと尊敬の気持ちを抱きました。入賞作品は、心臓に病気をもって生まれたお子さんへの感動的なメッセージでした。

先日、彼女からCDが送られてきました。

ご家族でバンドを組んでいらっしゃって、そのオリジナルCDです。お子さんたちの小学生とは思えない素晴らしい演奏に、彼女の美しいボーカルを聴きながら、表彰式でお会いしたご家族の姿を思い出して、あたたかいキモチになりました。

一方、わが夫は、表彰式の最中はホテルで寝てました(笑)たしかにわたしが「疲れてたら来なくてもいいよ。ゆっくりしてたら。」とは言ったものの、何のために遠路はるばる来たのやら・・・表彰式で妻や母の晴れ姿に誇らしげにカメラを向けるご家族を見ながら、ちょっとサビシイきもちになりました。でも、やっぱりわたしはどんなときも「ふ~ん。よかったね。おめでとう。」と、大騒ぎせず、作品も読まず、淡々と受け止めてくれる夫のほうが気楽でいいなあと思うのです。

表彰式では芥川賞作家で僧侶である玄侑宗久さんの講演がありました。(審査委員のお一人でした)「人間万事塞翁が馬」 ーこの世におこることにはひとつとして意味のないことはない。すべてを受け入れ、あるがままに生きるーというお話に、勇気づけられました。

表彰式の後は、地元のお母さん方手作りの郷土料理で懇親会だったのですが、当日中に帰れなくなるので、泣く泣くキャンセルしました。

雪道を歩きなれない私のために、役場の方が仕事を抜けて自家用車で送ってくださり、夫と合流して電車の時間まで猪苗代湖の白鳥とちょっとだけ遊んで(夫は手を噛まれて)あわただしく帰途につきました。

「楽しかったね~。また来年も来たいね~。来年も応募しいよ。」と、暢気に言う夫に、「そんな何回も入賞するわけないじゃん。」と言いつつも応募していたら、入賞の連絡が!

でも、「財政難で旅費がだせませんので、表彰式には自費で来ていただくことになります。」との言葉に、わたしより夫のほうががっかりしておりました(笑)

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公募生活・7 近況

連日35度近い暑さに加え、子どもたちはず~っと家にいて、宿題の進捗状況を心配して口を出してはうるさがられ、家事には追われ・・・自分の体内でストレスの水位が日増しに上昇しているのを感じる今日この頃です。(ちょっと大袈裟?)

今年は春以降、まったく公募に応募しておりません。

ところが、公募は募集時期と結果発表までにかなりの時差があるので、忘れた頃に通知が届いて「出してたんだった」と気づかされることがしょっちゅうです。

最近の結果は、「文芸思潮」のエッセイ賞が3次選考通過で、いったい何次審査まであるのかしら?と思っていたら、今度が最終選考だそうで。結果が出るまでのドキドキする時間が、宝くじの発表を待っているようで楽しいです。

それと、花粉症川柳で2万数千通の応募の中から百選に選ばれ、ネット上で公開されるというお知られが届きました。川柳は言葉をそぎ落とす作業がとても難しく、苦手分野でボツばっかりだったので、百選に選んでいただいただけで、もう、ありがとうございます!って気分です。ところで、どんな作品で応募してたんだっけ?と思ったら、ちゃんと公開確認のはがきに掲載してありました。

「ワイパーと 網戸付けたい 我が目鼻」

             (こんなので、応募してたんだ・・・)

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公募生活6・家の光読書エッセイ

公募で自分の憧れの作家さんが審査委員だったりすると、もしかしたら自分の書いた作品を読んでいただけるかも・・と、想像しただけで舞い上がってしまいます。

通常大抵の公募では、すべての作品を審査委員の先生方がお読みになるわけではなく、まずは主催者であるところの担当者や、外部の団体が下読みをして数を絞り込み、最終審査に残った数編もしくは十数編くらいの分量を審査委員の先生方がお読みになるそうです。

家の光読書エッセイは、今回974点の応募があり、その中で9作品が選出され、作品集に収められました。

審査委員は立松和平さん・落合恵子さん・安冨ゆかりさん・板野光雄さんというメンバーでした。

わたしの作品は落合恵子さんが審査講評を書いてくださっており、天にも昇る心地でした。

十代後半から二十代前半にかけて、落合恵子さんの作品世界にどっぷり浸かっていましたから、そんな雲の上の人がわたしの作品を読んで感想を書いてくださったなんて、夢のようでした。

こんな奇跡のようなことが起こるから、度重なるボツにもかかわらず、公募をやめられないんですよね。

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公募生活5・おんなのエッセイ

わたしがいちばんほしかった賞が、こちらです。

十数年前、表彰式のもようが新聞に小さな記事として出ており、(こんな晴れがましい場にいる人って、どんな人なんだろう。すごいなあ。)と思ったのが、この公募との出会いでした。

その翌年でしたか、実は毎年作品を募集していることを知り、初めて応募してみました。

内容は、”幼い息子がいるのでトイレの中でさえもわたしのプライバシーがない”というようなお笑いエッセイで、もちろん落選でした(笑)

数ヵ月後、作品集と参加賞(これが毎年なかなかに立派なものなのです。)が送られてきました。

入賞された方の作品を読ませていただき、(ああ、こんな作品が求められているんだ)と、納得するとともに、自分の送った作品の内容を思い出し、赤面したものです。

それから毎年のように応募しては落選し(毎年千人前後の方が応募する訳ですから、入賞するほうが奇跡に近いのですが)、いい加減に止めようと思いながらも、募集の案内が送られてくると、今年は何を書こうかと考えている自分がいました。

毎年テーマ自由だった「おんなのエッセイ」が20周年記念で、「20」をテーマにした作品を募集した年がありました。

なにも思いつかず、応募をあきらめていたのですが、そうだ、夫と知り合って20年目にして、はじめて泣いたところを見たから、そのことを書こう!と決めたのでした。

この作品が入選となり、とうとう十数年来の夢が叶ったのでした。

そのうえ、表彰式ですばらしい友人との出会いを神様は用意してくださっていました。

さらに、審査員のお一人である林田スマさんのラジオ番組に出演させていただき、私の作品をスマさんが朗読してくださるという、貴重な経験もさせていただきました。

あれだけ落選続きだったわたしの作品が、翌年は一時審査通過、翌々年は銀賞をいただけるなんて、只もう、びっくりでした。

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公募生活・4「九電論文」

今までに入賞した公募で、いただいた賞金の額が一番大きかったのが、こちらです。

ある日、出かけようとしたら、ポストにA4サイズの茶封筒が投函されていました。

(・・・?なぜ九電?電気料金は払ってるし・・・)と思いつつ、その場で開封したところ、「論文」「準特選」「表彰式」などの文字が目に飛び込んできました。

その瞬間、自分が応募していたことを思い出し、わたしはあわてて家に駆け込みました。

「ど、どうしよう!大変なことになった!」

玄関口で興奮して叫んでいたら、たまたま仕事が休みで家にいた夫が飛び出してきました。

「どうした!?車でもぶつけたか?」

「そうじゃなくて、こ、これ・・・・・」

わたしは受賞通知を夫の鼻先に突きつけました。そこから先は、あまり覚えていません。

ただ、天にも昇るキモチというのは、こういうことを言うのだなあと思ったのでした。

初めて経験する表彰式。母に着付けてもらい、わたしは訪問着姿で出席しました。しかも保護者(夫)も同伴で・・・そんな人はわたしだけでしたが(笑)

表彰式の最中に何を考えているかというと、(おなかが痛くならないか)(表彰状授与のときに、よろけたり転んだりしないか)(顔がひきつっていないか)とまあ、実にくだらないことばかりです。表彰状授与の際は、最初に表彰される特選の方の動きを観察して、それをお手本にしました。バシャバシャとカメラのフラッシュが焚かれ、緊張でひっくりかえりそうでした。

その後行われた懇親会では、審査委員の先生方や九電のお偉いさんたちと、有名料亭のお料理をいただきました。

ときどき発言を求められるので、集中して食べるわけにはいかず、何を食べたのかまったく思い出せません。

ただ、隣の席の方(受賞者)が、「おタバコ吸ってもかまいませんか?」と、わざわざ訊いてきたのが印象に残っています。

付き添いの夫は、地下のレストランでステーキをご馳走になったと喜んでいました。

まったく現実ばなれした体験でした。

さて、いただいた賞金(20万円)は、ハワイ旅行の足しにしました。

少し前に、そらが足に大やけどをして皮膚移植手術を受けていました。

2ヶ月にわたる闘病を終えたこともあり、2歳になるまでは旅費がタダということもあって、行ける時に行こう!と、またしてもいきあたりばったりで決めた旅行でした。

旅先でも安く上げるためにコンドミニアムで、自炊生活。お金のかかる観光地へは行かず、レンタカーでドライブしたり、ハワイに移住した先輩の家へおじゃましたり、ビーチでのんびりしたり、チョロチョロするりくと、だっこをせがむそらを連れての旅はほんと~に疲れに行くようなものでしたが、インパクトのある旅でした。

そのときのアルバムを見ながら、かいりが「じぶんだけ行けなかった」といじけています。

「かいりはお母さんのおなかの中でハワイに行ったんだよ」となぐさめますが、

「おぼえてない」と、ぜんぜん納得してません。

アア、ハワイに行きたいなあ~。でも、大人料金が4人になった今では、宝くじでも当たらない限りむりでしょう・・・

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公募生活・3 「わた赤大賞」

たまたまわたしの公募歴を書いて出さなければいけない事情があって、今までの公募を振り返ってみました。

公募初体験はまだOLだった頃で、自分の妊娠生活を童話にしたものを「わたしの赤ちゃん」という育児雑誌の賞に応募しました。

作品の内容は、ある日目覚めたら、自分のおなかにポケットがついていて、その中でぷうちゃんという赤ちゃんが寝ていて。そのうちにぷうちゃんはポケットからしばしばいなくなり、植木鉢に咲いたチューリップの中で寝ていたり、フライに使うパン粉の中で遊んでいたり・・・

そのぷうちゃんは280まで目盛りがある時計を持っていて、その時計が鳴ったとき、わたしの赤ちゃんとして生まれてくることになっていて、ぷうちゃんは、自分がどんな人の子どもに生まれるのか、こっそりポケットを通じて見に来た・・・というような筋書きだったと思います。

今思い出すと、顔から火が出そうな内容ですが、これがなんと「スポンサー賞」というものをいただいてしまい、後日真っ白なベビードレスが送られて来ました。

自分の書いた文章でご褒美をもらうという体験を初めてして、とても不思議な気持ちだったことを覚えています。

そのドレスは3人の子どもたちが順繰りに着て、今は思い出の箱の中で眠っています。

途中長いお休みもありましたが、わたしの公募生活も18年。いつの間にか入賞件数は主だったものだけで30件を超え、いただいた賞金も100万円を超えました。(ほとんどが生活費に消えましたが・・・)

でも、入賞しなかった作品はその何倍もあります。中には自分としてはとても大切に思っていた題材もあり、何度もリライトするうちに作品として完成していったものもありました。

これは完璧!なんて思える作品はまだありませんが、いつかそう思える作品に出会えるように(生み出せるように)まだまだ修行は続くのでした。

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公募生活その2・森のゆめ市民大学賞

先日、筑紫哲也さんが闘病のため、番組を降板されましたね。

病気を治されて、また番組に復帰していただきたく思っています。

「こんな学校あったらいいな」というテーマで森のゆめ市民大学がエッセイを募集していたので応募していたら、入賞の通知と一緒に学長である筑紫哲也さんの直筆の色紙と著書を送っていただきました。

色紙には筑紫さんの字で「多事争論」と書かれ、ご自分の署名の横にわたしの名前も書いてくださっていました。

毎日それを見ながら、闘病に励んでおられるであろう筑紫さんのことを思い、快癒をお祈りしています。

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公募生活その1・子どもたちに伝えたいメッセージコンテスト

ご無沙汰しておりました。

PCのバージョンアップをしようとしたら(夫が)、マザーボードが駄目になってしまい、PCを作り変えておりました。(もちろん夫が・・・)

まだVistaに慣れなくてブログをサボっていたら、「倒れてるんじゃない?」と、友人が心配して電話をかけてきてくれました。

ありがたいことです。

ところで、わたしの趣味のひとつに公募があります。ジャンルは主に文芸なのですが、これは一番お金がかからないのが魅力です。紙代と郵便代だけで応募できるし、最近ではネットでの応募を受け付けてくれるところもずいぶんと増えてきました。

先日わたしがお風呂に入っているとき、そらが「お母さん、公募の受賞の件で、DHAってところから電話があったよ。」と伝えに来てくれました。

えっ?DHA?それって青魚に多いというドコサヘキサエン酸のことでは・・・?と、考え込んでしまいました。

近いところでDHCというのが思い浮かんだのですが、通販の化粧品会社と公募がどう結びつくのか???多いときには週に何本も応募しているので、最近では応募した作品の一覧表を作っているのですが、どうもピンときません。

数日後、かかってきた電話はやはりDHCからでした。DHCには教育・カルチャー事業部というのがあって、そこが主催している「子どもたちに伝えたいメッセージコンテスト」にわたしの作品が入賞したとのお知らせでした。やっと疑問が解消しました。

電話の内容は、作品のタイトルなどに間違いがないかの確認だったのですが、どの作品で応募したのかすっかり忘れており、(だって、出したのは去年の秋なんですう)「すいませ~ん、どんな作品でしたっけ?」と、先様に尋ねる大ばか者のわたしでした。「お母さんが魔女だという・・・」「ああ、思い出しました!」(お互い笑)

ちなみに作品はhttp://www2.edu.dhc.co.jp/hughugでご覧になれます。

賞品に図書券(これがいちばんウレシイご褒美です)を送っていただいたので、たくさんあるほしい本の中からどれを買おうかと思っていたのですが、本屋さんに夫と娘も同行していたので、彼らにも買ってあげたら、わたしのほしい本が買えなくなってしまいました。(くすん。)でも、前から欲しかった「あたしンち」を一冊だけ買うことができました。つらいことがあっても、この本を読めば元気になれますし、「あたしンち」の母は、なんだか自分と似ているような気がするのです。

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